藤田嗣治作品と所蔵美術館紹介

Vol.3
秋田県立美術館(公益財団法人平野政吉美術財団)

《自画像》藤田嗣治 油彩・キャンバス 1936年

《自画像》藤田嗣治 油彩・キャンバス 1936年 公益財団法人平野政吉美術財団蔵
©Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 B0822

畳に襖と、江戸情緒が漂う四谷左門町の借家での自画像です。本作が描かれた同年の6月に妻・マドレーヌが急逝し、藤田は彼女と暮らした思い出深い高田馬場のメキシコ風アトリエを引き払って麹町に移るまでの間、こちらの家に仮住まいしていました。画面には、角火鉢に裁縫箱、茶釜模様が目を引く藍染の暖簾、そして座卓の上には茶碗や箸など日本的な品々があふれ、自身の趣味を「下町の江戸趣味」と称した藤田の好みが前面に押し出された作品です。
このように日本へまなざしを向けはじめた藤田でしたが、漠然と置かれた家具、弛んだ姿勢、挑むような視線には、当時の藤田の不安定な心情が投影されているようです。

藤田は生涯にわたって数多くの自画像を描きましたが、その構図や筆触などはさまざまです。本作品のように細かな背景描写とともに描いた自画像がある一方、当館の所蔵作品《自画像》(1928)のように、画面いっぱいに自身を描いた自画像も数多く制作されました。

軽井沢安東美術館

藤田嗣治《自画像》1928年

藤田嗣治 油彩・キャンバス 1928年 軽井沢安東美術館所蔵
©Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 B0822
藤田がエコール・ド・パリの寵児となった1920年代の作品《自画像》。白い下地に墨で描かれた繊細な線描とおかっぱ頭に丸メガネ、ちょび髭に金のピアスと、当時の藤田の印象的なビジュアルが前面に押し出された作品です。髪型や眼鏡に並んで、藤田の右肩からひょっこりと顏を出した虎柄の猫も藤田のトレードマークと言っていいでしょう。サイン替わりに猫を描くこともあった藤田にとって、猫は自身の風貌と合わせて彼を象徴するアイコンでした。また20年代後半は多数の自画像が制作された時期でもあり、藤田が繰り返し描いた自画像は、Foujitaというキャラクターを作り出し、確固たるイメージを定着させる一助となりました。藤田にとって自画像は、その時々の心情を映し出す鏡だったり、広告的な役割があったのかもしれません。

秋田県立美術館について

秋田県立美術館
秋田県立美術館は、平野政吉コレクションを展観する美術館です。世界的な画家 藤田嗣治が、1937年(昭和12年)当時の秋田を描いた大壁画「秋田の行事」をはじめとする1930年代の作品群を常設展示しています。平野政吉(ひらのまさきち 1895-1989)は、秋田市の商人町で米穀商を営み、県内有数の資産家でもあった平野家の三代目であり、青年期から浮世絵、骨董、江戸期の絵画などに興味を持ち、生涯を賭けて美術品を蒐集しました。
平野は、1929(昭和4)年の藤田の一時帰国時の個展で、はじめて藤田嗣治の作品に出会い、その後、1934(昭和9)年、東京の二科展の会場で、平野と藤田は出会います。平野は、1936年(昭和11年)、藤田の妻・マドレーヌの急逝にともない、その鎮魂のために美術館の建設を構想しましたが、戦時下、美術館の建設は中止されました。
その約30年後、1967年(昭和42年)、平野は「青少年を豊かな人間に」と願い、長年収集した美術品を公開するために財団法人平野政吉美術館を設立します。同年5月には、平野政吉コレクションを展観する秋田県立美術館が開館し、現在に至っています。平野政吉コレクションの核である藤田作品は、1930年代の藤田の画業を俯瞰する作品群として、広く知られています。

公益財団法人平野政吉美術財団に所蔵されている藤田嗣治の作品についてはこちら

秋田県立美術館
〒010-0001 秋田県秋田市中通1丁目4-2
https://www.akita-museum-of-art.jp/index.htm